秦の回想記 その1

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秦が 長野に やってきてから、 今月末で 11年になります。

あっという間でした。  でも、沢山の良いこと、悪いことがありました。

多くの子ども達との出逢い。  多くの協力者、仲間との出逢い。 そして、沢山の別れや 決別。

 

神奈川の親元を 追われるかのように 長野へやってきた。

神奈川を出るときに どこへ行こうか悩み、 長野新幹線に乗ってみっか。

そんな単純な想いで神奈川を飛び出した。

その時は、お金もなくて 住み込みで働ける環境を探し、さっき言った単純な理由で、バイト情報誌から 

長野県 菅平を選んだ。

 

友達だの、何なのと 頼るあては、何もなかった。

 

菅平にやってきて、旅館で働いた。

一か月、一生懸命に働いて 20万近くの 給料をもらった。

こんな 大金を手にしたのは、その時が初めてだった。

なぜなら、僕は チックの トゥーレット症候群を持っていて 大きな声が出てしまい 過去に何度も100近くの会社を面接を受けたが、

チックのこと、声のことで 採用などされず、仮に採用されても 数日後には くびになってしまうからだ。

 

働くってこんなに 素晴らしいことなのか!! その時 初めてそう思った。

 

そして、都会から 自然の多い 菅平にやってきて、チックの声が減ってきた。

旅館で働いて、長野に定着するかと思っていた。

でも、神様は 簡単に 僕を認めてはくれなかった。

 

半年たった 冬に 旅館の 社長と言い合いになった。

接客にたいしてもめたからだ。

僕は、旅館の従業者といて お客さんに 筋を通したかったのだ。

社長は、 「お前は 生意気だ。お前みたいな変な声が出る 気違いは出て行け。」と言った。

 

僕は思った。 また 気違い という言葉でくくられてしまった。

僕は どこへ行っても 誰もが 気違いとしか思ってなかったのか?

神奈川での人生に ピリオドを打ち

もう生きていける場所は 長野しかない。と思っていた。

なのに、 全てに 失望してしまった。

 

その時に思った。 もう死のう。と

 

2001年 1月 31日 夜 8時頃 標高1000メートルを超える菅平の山の上で

雪は 1メートル以上つもり 気温は マイナス 15度を超えていた。

僕は、そこで持っていた 睡眠薬 を 100粒近く飲んだ。

 

でも 睡眠薬を大量に飲んでも人間は 死ねない。

そんなこと分かっていた。 でも 気温が後押ししてくれる自信が僕にはあった。

 

意識が遠のく中で 僕は 「これで やっと楽になれる。」って思った。

 

そして意識が飛んだ。  

そこで僕の人生は終わったはずだった。

でも、僕は生き残った。

 

その時から 僕の 運命は 大きく 変わったのである。

 

どうやって変わっていったかは、 また次回の 回想記にて・・・・

 

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